2010年9月24日金曜日

読書の秋と語学の勉強

本を読み終えたあとは、どうしても文章を書きたくなる。煙草をすいながら、のんびりとこうやって文章を綴るのは至福の時間だ。ここ数ヶ月読書に対しての時間を増やしたため、ストックが切れてしまい、昨日仕事が終わった後に、車を走らせて久しぶりに本屋をめぐった。

一軒目は古本屋。ここで過ごす時間はとても愉しい気分になる。高い値段がついているものは大体最近でた本が多いが、ひょっこり100円コーナーにいくと掘り出しものがあったりする。今まで読もうかな、と思っていた本も躊躇なく手に取ることができる。ここでは4冊ほど買い、目的のものは売られていなかったので、別の本屋に移動する。中公文庫をさがしていたのだが、わずか数冊。なんという扱いなんだろう、と憤慨しながらすぐにその本屋は後にした。でもそれはしょうがないことで、世の中はすべて商業的に本を流通させているのだから。

最後の本屋は私が車でいける範囲では一番大きい本屋だった。ここでも中公文庫はすくなかったが、さすがに、手堅く人気作家のものはそろっている。ここで、2冊の文庫を購入し帰宅。村上春樹訳の「心臓を貫かれて」が家にあったかどうかが不明だったので見送っていたけれど、やはりなかった。次にいったときに、残っていたら購入。あとは、ロング・グッドバイをwishリストに入れておく。

いつもはなんだかばたばたしてしまって、仕事から帰り、夜ご飯をたべ、それからのんびりお風呂につかり、勉強をしているとあっというまに深夜の2時3時になるけれども、今日は、勉強も早く終わってじっくり1冊のライトのベルを読み終えた。

本日の雨や雷雨が過ぎ去ってから急に涼しくなりいまでは肌寒いほど。

今、1日に1レッスン分ときめて韓国語の文法とリーディングを進めているのだが、これがまたするすると頭にはいっていくので愉しい。たかだか1レッスンとおもうのだが、単語のチェックや文章をノートに書き写すためだいたい1時間は普通に使ってしまう。韓国語の文法は日本語とよく似ているので英語よりは覚えやすく、リーディングも毎日目を通すようにすると単語の意味はわからないものの、助詞などは判断できるようになり、なんとなく読めるようになってきた。
英語のことも気になるが、こちらは幾分土台があるので、1日の終わりにDSで「もっと英語漬け」をやって、リスニングと言い回しのチェックをする程度。所要時間は10分もかからない。そして、手を洗い猫におやすみ、と挨拶をして(だいたい起きてくる)寝床にもぐる。

他の言語に触れていると、日本語がどんどん消化されていくような感覚になり、それでここのところ読書量が増えたのだと自分では思っている。いろいろな人の文章をよみ、新しい表現があればひろっていく。村上春樹、江國香織、よしもとばななほど私に衝撃を与えた作家にはまだ出会えていない。出会えるとしたらきっとそれは、明治文学や大正文学に名をつらねた文豪たちだろうな、という密やかな予感を持っている。それは、まるでわくわくした感覚と同じような。

美しい日本語に出会えることは素敵だと思うし、クールな表現や描写にはあっといわされる。大量生産されたようないいまわしではない、そこにあるなにか。だから私は黙々と本を読み続けるだろうし、本を読みながら自由に思考は旅にでることができるのだ。

今日はファンタジーのライトノベルだったので、どっぷりファンタジーの世界につかり、秋の夜長には読書がいいな、と学生時代を思い出すように少し懐かしくなる夜である。

0 件のコメント: